福島から消えつつあるもの(警戒区域に入って)

 

南相馬市立総合病院・神経内科 

小鷹 昌明

 

201327日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

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震災から19ヶ月が経過した。20121224日の、いまにも雪の舞い散りそうな寒い日に、私たちは浪江町から双葉町、大熊町へのツアーを敢行した。

最近赴任してきた60歳の在宅診療科医師(大熊町出身)の、「40年振りに浜通りに戻ってきたので、もう一度故郷を見たい」という願いに便乗し、私たちは、この“エリア”に足を踏み入れた。

 

南相馬市から国道6号線をひたすら南下した。4月の時点で解除された20キロメートルの警戒区域を越え、現在の区域である10キロメートルの地点で車を止めた。私は線量計とカメラとを両手に握りしめて、その中のすべてを脳裏に焼き付けるつもりで助手席に座っていた。警察官数名によるバリケートの布かれたゲートをくぐり、私たちはエリア内に入った。

そこは、混沌の中にあった。

南相馬市での線量は、高くても1マイクロシーベルト程度であり、線量計としての本来の能力を発揮するには到底及ばない数値であったが、それがみるみる上昇していった。マックス25マイクロシーベルトを記録した場所は、ちょうど原発の排気塔とクレーンの見える地点から北西の方角だった。

 

もう既に多くの人たちが警戒区域内の惨状については伝えているので、私の言うべきこともそれらと重複するが、「“死の街”と形容する以外に言葉が見つからない」という言葉以外に、やはり言葉はなかった。

冬の寒空に晒された大地は、枯れ草が折り重なり、放置された田や畑には掃けない水が貯まり、伸び放題のセイタカアワダチソウの繁殖群生地となっていた。

あらゆる隙間を雑草が侵食し、それらは大地の体毛のようだった。きっとこれらの植物は、この街の人工物を、この勢いで覆い尽くすのだろう。無秩序と無節操とが入り乱れ、現実の悲劇に蓋をしているようだった。秩序や節操というのは人間の考える美的感覚であろうが、“自然”というものは、そうしたものにいっさい関心がなかった。

無機質で、無規律で、無自覚で、とにかく何もないことに驚愕した。普通は存在する対象物があれば、それに興奮するものだが、ここでは何もないことが驚異であった。

 

昨年のいま頃、私は大学からの辞職を決めて、この縁もゆかりもない土地への異動の準備を始めていた。南相馬市がどういうところで、どういう人たちがいて、どんなことが起こるのか、期待より不安の方が大きかった。だが、いま考えると、この街に来ることは私にとって必然であったような気がしているし、きっと警戒区域内に入ることも、気持ちのどこかで望んでいたことなのかもしれない。

ここに来る前、私は19年間にわたる大学病院勤務を続けていたわけだが、その長いようで短かった人生において、進むべき方向は見えていた。与えられたコースに乗って進んでさえいれば、きっと人生は順調だったかもしれない。だが、あるときから私は、何か釈然としない日々を過ごしていた。既に何度も何度も、繰り返し繰り返し自問してきたことだが、(本当に1年経っても、まだ考えているが)私はなぜ大学を辞めてこの地を訪れたのか?

不機嫌な人の多い閉塞した大学生活をリセットしたくなったからではないのか。ただ、言われるがままに仕事をしてきて、気がつくとひどく退屈な医師になっていた自分を変えたくなったからではないのか。自分の能力の限界を知り、モチベーションを保てなくなったからではないのか。人のためになんかまったくならない権力闘争など、無意味な喧噪から脱出したくなったからではないのか。それは、はっきり言えば現状からの“逃走”ではないのか。その結果が、たまたまこの地であっただけではないのか(これらの言葉は前にも述べたが)。

私は、いまこうして誰もいない静寂の中に立っている。人生の軌道を逸れ、無人の世界に迷入している。風の音だけが響く、この高線量地帯を彷徨っている。

どういうわけか、何故だかわからないが、私はこの大地の中で落ち着きを得ている。行き着いた先の開放感に浸っている。

どうかしているかもしれない、異様な気持ちかもしれない。現地の人が聞いたら大変な憤慨であろうが、私は、不安と驚怖とを感じながらも、身体中の筋肉を震わせながら、それでも不思議と胸をときめかせながら、原子炉建屋を見つめていた。

 

話しは、チェルノブイリ原発事故にさかのぼる。

1986426日、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉が臨界事故を起こし、爆発した。拡散した大量の放射線は、国境を越えて風下にあるベラルーシにも降り積もった。畑を耕し、牛を追いかけ、泉の水を飲みながら自然の中で生活していた多くの農民たちが、住んでいた土地を追われた。

国や軍隊は事故の説明すらせず、何が起こり得るかの案内もなく、わずかな身の回りのものだけを抱えて都会へ避難するよう指示した。人々は家畜のように囲い込まれ、ジープで運ばれ、日常は完全に停止した。

放射能で汚染された地域は「ゾーン」と呼ばれ、有刺鉄線で閉鎖され、16の村が地図から抹消された。かの地では、消えた村々のプレートが墓碑銘のように、いまでも立ち並んでいる……。

 

原子力とは、いったい何なのか? 放射線とはいかなるものなのか?

頭の中では、「目には見えないが、遺伝子を引き裂いてしまうのが放射線や中性子である」ということを理解している。何よりも「“生命の記憶”そのもの、“種”の破壊があるから恐ろしい」ということを想像している。人間における成長への情報、ホメオスタシスの情報、自己修復の情報、すなわち自分のコピーを作る情報、それを壊されてしまう。福島は、そのような遺伝子レベルでの破壊を受けた。

 

警戒区域のエリア内で、福島県立大野病院(帝王切開中の大量出血による産婦死亡に関して、産婦人科医が逮捕勾留された刑事事件の現場)や、医療法人博文会・双葉病院(今回の震災時における、「患者置き去り事件」の誤報道の現場)を見た。無人の家屋や駅や学校や介護施設や商店や放置された車を見た。これらの場所で、どんな混乱と惨劇とが起きて、何が問題だったのか、私には知る由もなかった。

私の行動は、常に後追いだった。“平和公園”や“原爆ドーム”、“ひめゆりの塔”や“ガマ”、“松代大本営跡”や“大久野島”などのような、「かつての被爆地や戦地」を眺めて、いったいどうなるというのだ。一時的な感慨に耽るだけではないのか。私の、いったい何が変わり、そこから何が生み出されるというのだ。繰り返される歴史の中で、事件を風化させずに子供や孫の世代まで、その事実を伝えていく意義があるとしたら、今回のこの事故をいったいどうやって説明していけばいいのだ。

この地でも、高い放射線量を恐れて多くの人々が逃げた。その線量を長く浴びれば浴びるほど、人間の身体には何らかの悪影響を及ぼすものである。そのことは、もちろん理解している。しかし、それが自分にとってどれ程大切で、どんな手立てが必要なのか。

原発の後は何も語らない、何も残らない、何も築けない、警戒区域の伝えたことは、ただそれだけだった。私たちは、そこから何を想像していけばいいのか。

 

“殺処分”の指示を受け入れずに、商品価値のまったくなくなった餓死寸前の“被爆牛”を、個人で保護している牧場(浪江町・吉沢牧場)があった。それは、原発から14キロメートル北西の地点に位置し、約30ヘクタールの放牧場を有している。私たちは、そこを訪れた。

牛たちが、体を寄せ合うようにそこで命をつないでいた。その中で、自らの足で立てなくなった、まさに弱いものから消滅していく灯火を見た。

吉沢さん(牧場主)は、「いまここに生き残っている牛たちは、福島原発事故の生き証人である。それらを殺処分することは、証拠の隠蔽である。“生きたガレキ”などでは断じてない。深い深い絶望の先にしか、希望はないのかもしれない。私たちの行動には必ず意味がある」と語った。

 

たとえどんなに国が、社会が、世間が「危ないから逃げろ、商品価値のない牛は処分しろ」と詰め寄っても、この人の中に存在するすべてが、全身全霊が、「それは、絶対に違う」と叫んでいる。その声は、あまりにも力強く、抗し難く、社会的な価値観と真っ向から反目している。かろうじて立っていられるその中で、自身を支えながら血みどろになって闘っている。

いったい、いまの現実をどこまで引き受けられるのか……。それもたった独りで……。

多くの仲間が、その孤独に耐えきれず、与していく中で、自分が自分であるために行動し、声を上げている。それは、放射線被害におけるひとつの“叫び”だった。この人は、「ひとり」という原点に立ち返っていた。「人間として」という起源に立ち戻っていた。

一歩も引かずに前に出る。それしかない、それしか「自分が何ものなのか」を確認する方法がない。諦めたら「もう誰でもない自分」になってしまう。

そのあまりに悲痛な慟哭に、私たちは、差し出されたお茶にいっさいの手をつけることができなかった。

 

私はただの臨床医で、物書きである。聞きかじりの知識しかなく、具体的には何のとっかかりもなく、無力で、問題の周辺をうろついている人間である。そんな人間が、警戒区域内に入ってはみたものの、このような体験をして、そして、それらが私をどこに連れていってくれるというのだ。

私たちは、地震で揺れ続けている日本で生きている。放射能で汚染された福島で生きている。原発から一番近い南相馬で生きている。偶然にも、この時代にこの場所でこの事故に遭遇してしまったこの街で生きている。私という人間はそれだけである。ただ、それだけだとしても、それにはきっと意味があることなのだ。

 

“警戒区域”のツアーを終えた瞬間、私はすべての言葉を失った。現実を受け入れることだけで精一杯であった。いまやっと、いくつかの言葉を絞り出すことができるようになった。

「整理できなくて伝えられない」という言い訳は、もはや、いまの私には通用しない。「まさに、伝えたいけれど伝えられない」、そのもどかしさというものだけでも大切にしたいと思い、文章を書き連ねた。福島への想いの中に、「知らなかった」という自己弁護を封じるために、言葉を重ねた。

それは、“被災地の現状”を伝えるためではない。“人間の過ち”を伝えたいのだ。私たちが“ここにいる”ことを伝えるのだ。

 

見落としてきたものが、あまりにもあるようで、私は、再びあの“エリア”に行かなければならないような衝動に駆られている。やり残してきたことがたくさんあるような気がして、落ち着かないでいる。

この街で、私は、私の行動に一歩の意味があるとしたら、それをやる。そして、私は、私の行動に一歩の意味がないとしても、マイナスでなければやりたいと思う。さらに、私は、私の行動がマイナスでしかないとしたら、それでもやっぱり、一歩を踏み出すために、やはりやりたいと願う。

それが、この原発から一番近い街における行動のような気がした。

 

 

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